全ての「分かる」への道のり1 『当たり前の共有』

アート解説

「分かる」とは何か?

物事を分かるために、こんなことから語り始める人はそんなにいないが、僕はここから始める。

 

分からない時、原因はいろいろあるけれど、今回は「当たり前を共有していない」という話をする。

物事を根本的に分かるためには、お互いの無意識的な当たり前を探求、整理、共有することが必要だ。

今日は以下の3つが分かると嬉しい。

・自分の中の当たり前は自分では分からない

・誰も当たり前を共有していない

・多くの人は、当たり前を共有している前提で話をする

 

当たり前を共有することの難しさ

当たり前とは… 分かりきったこと。普通。

我々は、自分にとって分かりきったことを、日々意識せずに暮らしている。この「分かりきったこと」というのは、自分がこれまでに経験したこと、あるいは見聞きしたことの範囲内でしか作られないので、自分がそれまで属していたコミュニティの外にいる人たちと交流することで初めて、自分がこれまでに何を当たり前としてきたかが分かったりする。

例えば。子供の頃には友人や他人の家庭もみんなうちと同じような状況だろうと思っているケースがある。他者の家の事情を具体的に聞いた時に初めて、実は自分の家庭だけの独自のルールがあることが分かったり、我が家の料理の食材の使い方がかなり独特だったのだと理解したり(或いは上京して初めて、慣れ親しんだ料理が実はローカル料理だと知ったり)という経験のある人もいるだろう。

このような自分では気付けない自分だけの当たり前に気付く場面は、生きていれば沢山ある。僕は先日このツイートで世界の当たり前と日本人の感覚の違いを思い知った。

世界中の多くの人にとって、ヒロシマの表象は原爆なのだ。日本のヒロシマと言えば、あの原爆の被害を受けた地域だ、あまりにもその印象が強すぎるが故に、広島焼きという言葉を聞いた時にまっさきに原爆と繋がってしまうのである。

日本人にとってはこの無関係性は当たり前だし、そこを関連付けて考えてしまうことは衝撃の想像力かもしれないが、「お好み焼き広島焼き論争」を知らない海外の人々からすれば、むしろ当たり前の思考の繋がりと捉えることもできる。で、ここで注意すべきなのは、僕は「日本人にとっては衝撃」と、あっさりと日本人という枠組みで捉えて、日本人ならば誰だって「お好み焼き広島焼き論争」知ってるよね?だから我々日本人からすれば衝撃だ、みたいな言い方をしたけれど、そもそもここに問題がある。

日本人ならば誰だって「お好み焼き広島焼き論争」知ってるよね?は僕にとっての自分では気付けない自分だけの当たり前かもしれないからだ(今回は気付いたけれど)。日本人でも広島に関して原爆以外の情報をほぼ持っておらず(広島焼きという名物があることや、大阪との論争があることなどを知らず)、上のツイートの外国人側と同じように考えた人もいるかもしれないということだ。あるいは広島焼きを知っていても、この結論に至った人もいるかもしれない。

我々はつい「同じ日本語話者だし分かるだろう」と思って、何が自分にとって、相手にとって当たり前なのか、ということを確認しないで話を進めてしまう。しかし実際には人間全員がひとりひとり異なった生まれと育ちなのであり、各々が異なる経験や偏った知識を持っている。全員が自分では気付けない自分だけの当たり前を抱えて生きている。なので、実はこの世界の誰もが「自分が当たり前だと思っていることを誰とも完全には共有できていない」のであり、そういう意味では「この世界の全員がお互いに勘違いし続けている」とも言える。

 

美術の当たり前

美術解説のほとんどは、結局納得できない内容になっている。いきなり美術の歴史について解説されても「美術史の重要性は分かったけれど、何で歴史がそんなに重要なの?」と思うだろう。「で、結局美術って何なの?」と思ったりもする。美術史について語る時、語る者は初めにその重要性とそれがなぜ美術理解に繋がるのか、ということから説明すべきなのだ。そういった当たり前から共有していくことが根本的な理解のためには必要だが、既に美術を理解している人たちは、そんなことは当たり前過ぎて中々気付けない。このような、美術の人たちが自分ではなかなか気付けない、美術界隈だけの当たり前が山ほどあるのだ。

そんな当たり前をこれから、ここで共有していく。

 

ところで、僕は上の文章の中であっさりと「表象」という言葉を使ったのだが、この言葉の意味を当たり前に理解して読んでいる人と、は???と思った人とがいるだろう。

表象という言葉は美術界隈ではよく出てくる言葉だが、正確な意味を説明するのはとても難しく、用法も複数あると言えるので、ここでは説明をしない。表象という言葉を説明するために僕は何千字も書ける。それほどの面白い意味を持っている言葉であり、この言葉一つのために数時間でもかけて理解する価値は必ずある。

しかし、これから僕がこのサイトで行っていく解説は、特定の界隈でのみ当たり前とされている言葉(ほぼ業界用語みたいなもの)を極力排除して解説を行う予定である。中学生にならば分かるかもしれない、くらいの言葉を使って、全ての難しいことを根本から解説してみようという試みなので、もし分からないことがあればコメントなどでバンバン指摘してほしい。

正直に言うが、僕も、自分の中で何を当たり前としているか分かっていない。だから「これは解説しなくても分かるだろ…当たり前だし…」というような無意識的な飛ばしを行っていることが多々あると思う。僕が自分自身の当たり前に気付くためには、これを読んでくれるあなたの「いやそれ分かんねーよ」が必要なのである。なので批判コメントをありがたく受け付けている。

 

今日の専門用語「内面化」

自分では気付けない自分だけの当たり前を抱えること。我々は日々、様々な決まり事や、行動習慣、物事の考え方、価値観(何に価値を感じるか)などを、自分で決めることなく、むしろ他人から教わったり、度重なる経験によって「そういうものなのだな」と思い込んだりして、それらをいつの間にか「当たり前のこと」だと思うようになっている。そういうことを内面化と呼ぶ。ほとんどの常識、ルール、価値観は自分で決めたものではなく、社会に元からあったものを内面化することで成立している。

と、実は今日は「内面化」という言葉を説明するための文章だった。3,000文字くらい書いた。難しい言葉は一度きちんと理解しておけば、数千文字分の説明が必要な概念を僅か3文字程度で表し、相手に伝えることが出来るので、専門家はこれらの言葉を駆使しながらいつも話している。それが専門家にとっての当たり前なのである。だから本当に美術を知っていくためには、これらの用語と用法を内面化していく必要があるし、思考を深めるために批判をし合うような姿勢もまた内面化していく必要があるだろう。批判をし合うことによって、お互いに何を内面化してしまっていたのか(誤った思い込みをしていたのか)に気が付けるので。繰り返すが、自分の当たり前に、自分では気付けないのである。

 

次回は

「言葉の意味の定義のされ方」

「分かるとは何か」

みたいな話をしたい。(というか既にめっちゃ書いてあるので整理したら出します。)

よろしくお願いいたします。

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